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筆休め・・・北方水滸伝より

小李富としての筆休め。

「おまえは、穢れてはおらん。人は、自ら穢れるのであって、他人に穢されるのではない。そうなのだぞ、金翠蓮」(宣賛)

宣賛・・・こののち梁山泊の軍師であり頭脳となる男が、のちの妻、金翠蓮に語った言葉。
『北方水滸伝』第7巻より
水滸伝

・・・うーむ・・・そうか、人は自ら穢れるのか・・・おれもそうなんだろうなぁ・・・
他人のせいにしてはいかんのだなぁ。

汚れちまった悲しみに、
などと中原中也ぶっている場合じゃないってことですね。


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スライド8  wrote by 小李富(しょうりふ) ブログランキング・にほんブログ村へ ブログランキング

この記事へのコメント

生きることの尊さと悲しさ - Mrs.PIE - 2016年03月13日 08:28:41

本郷の坂を下ったところの喫茶店から小林秀雄が出てきたとき、たまたま長谷川泰子にバッタリ出会い、ふたりは何も言わずに目礼してすれ違ったんですって?

日々、倦怠のうちに死を夢みて、
なすところもなく今日という一日は静かに暮れていく

Re: 生きることの尊さと悲しさ - 小李富 - 2016年03月13日 18:44:45

Mrs.PIEさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

小林と長谷川・・・その時はもう関係がはじまっていたのでしょうか。
中原中也とは???
有名な話らしいけど、うーむ、恥ずかしながら、まったく知らない・・・
調べてみようかな。

- Mrs.PIE - 2016年03月14日 23:21:41

山口県から京都に来た中也が泰子と出会い、東京へ。
大学受験を目指していた中也は、自分は外大を落ちているのに東大のバリバリの秀才だった小林に対して普通につきあい、泰子はそういう中也に引かれつつ、小林のもとに走り、
で、小林は結局、泰子をふり、妹の高見沢潤子もそのあたりのことを書いていたと思います。

Re: タイトルなし - 小李富 - 2016年03月15日 20:01:17

Mrs.PIEさん、こんばんは。
なるほどなるほど。
いまの時代なら、マスコミが大騒ぎすることですけど、その頃はどうだったのでしょう?

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3.小李富(編集担当 旧名1961_TM)
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