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川端康成「掌の小説」(リレー)

玉下さんに川端康成「掌の小説」を紹介したのは僕です。

「掌の小説」には2~10ページほどの超短編(だから掌説というらしい)が122編収録されている。
でも実は僕は読んだことがない。
  (玉下さん終わったらお貸しください。ついでに写真も再掲載・・・笑)
掌の小説

ではなぜその話をしたのか。

僕の会社が入っているビルのオーナーである社長(おとうさんと呼んでいる)と
その夫人(おかあさんと呼んでいる)とは、
江戸時代の大家と店子のように仲良くさせてもらっている。
お昼や夕食を自宅でごちそうになったり、屋上で洗濯物を干すのを手伝ったり。

おとうさんとおかあさんは、ある事業をやっているが、
その創生期から最盛期に、川端康成と懇意にしていたという。
ある晩、お鍋を囲みながら、

おかあさん「川端さんは、年齢差を感じさせない素敵な方でしたのよ」
   (「先生」じゃない!「さん」づけだ!しかもちょっと瞳にハートマーク入ってる!)

おとうさん「銀座は川端さんの紹介おかげで店舗の賃料がゼロだったんだ」
   (銀座で家賃ゼロ!)

息子さん「あの不死って話に出てくるみさ子は、母さんがモデルなんだよね」
   (確かにおかあさんの名前と1文字違いだ!)

翌日、調べれば、「掌の小説」の大半が20代に書かれたものらしいが、
「不死」は112番目。1963年、川端康成64歳のときの作品という。

そんなこんなの顛末を1960+定例会で話したら、
玉下さんが早速その「掌の小説」を入手したというわけ。素早い。

ちなみにこの「掌の小説」は、2010年に映画化もされていた。(最近じゃん!知らなかった)
  掌の小説 (映画) Wikipedia


玉下さん、後日談があります。
夕食に呼ばれた昨夜のこと。

おかあさん「いつもは元気がいい三島さんがね、
      川端さんの前だと借りてきた猫みたいにおとなしいの、うふふ」

三島さん?
そう、三島由紀夫のことなのでした・・・

三島由紀夫が川端康成に初めて会ったとされるのが1946年。
割腹自決したのは1970年。
確かに時代は合っているが、実感がわかない・・・何十年か前にタイムトラベルした気分。


ともあれ、大家さん一家との食事はいつもおいしくて楽しい。
また行きますね!


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