葬式仏教はいらない
先日、7月末に帰省してきた。
父の三回忌のためだった。
三回忌ということで身内のみの10人くらい。
お寺で2時間ばかり過ごし、そのあとで代々の墓を参ってから実家に戻り、母の手料理で過ごすという、
まさにひっそりとした法要だった。
お寺ではもちろんお経をあげていただいたわけだが、正直言って苦痛以外の何物でもなかった。
ポクポクポクポク、むにゃむにゃむにゃむにゃ、ゴーン・・・
何を言っているかさっぱりわからない。
たまに南無阿弥陀仏など、聞き取れる用語はあるものの、まったく理解不能。
久しぶりの正座がその苦痛に拍車をかけていた。
僕はキリスト教のミサなどにもまともに加わったことはないが、
聖書を読み、賛美歌を歌う・・・
ほほう、●●の福音書によると、イエスさまはこんなときにこんなことしたのね。という感じ。
正確な宗教的理解はできていないかもしれないけど、日本語であるから、それなりにわかる。
しかし今回の三回忌での読経は、まったくわからない。
へんな節回しの異国語をずっと聞かされていたのと何ら変わらない。
釈迦に説法、馬の耳に念仏なんていう次元を超えている。
これぞまさしく葬式仏教。
お経には仏の尊い教えが凝縮されたものだろう。
※イメージです。
それを読経するということは単に形式的・儀式的なものではなく、
僕らのような一般人にその教えを広めようとする行為でなければならないし、
法要では彼岸に行った故人を忍びつつ、現世に残っている僕たちに生きる道を示すものではないだろうか。
少なくともどんなお経をあげるのか、またはあげたのかを教えてほしかったし、
できれば、そのお経をプリントして手元にほしかった。
そうするだけで、仏の教えに少しでも触れることができただろうし、送った父への思いも深まったかもしれない。
これではお寺と檀家の関係が薄くなるのは当たり前。
法要以外でつきあいたくはないし、「僕の番」になったら、そんなもの(意味不明の読経タイム)は不要だと言いたい。
しかし、僕は、みんなが集まる冠婚葬祭はきちんとやるべきだと思っている。
(それを書いたエントリーはこちら→ 「冠婚葬祭は、ちゃんとやろう!」)
今回の三回忌。
母の手料理を食べながら、叔父や叔母たちと歓談していた時間はとても貴重だった。
僕も早朝に到着し、その日の深夜に帰京するというきつい弾丸帰省だったけど、
行って、本当に良かったと思っている。
父もきっと喜んでいたはずだ。
【本日の一冊】


以前、ランシンさんからお借りした本。
硬直化し、衰退するお寺をどう立て直すかなどが、わかりやすく書かれている。
お寺でなくても、会社経営にも通じる内容でした。
カテゴリー
wrote by 1961_TM
父の三回忌のためだった。
三回忌ということで身内のみの10人くらい。
お寺で2時間ばかり過ごし、そのあとで代々の墓を参ってから実家に戻り、母の手料理で過ごすという、
まさにひっそりとした法要だった。
お寺ではもちろんお経をあげていただいたわけだが、正直言って苦痛以外の何物でもなかった。
ポクポクポクポク、むにゃむにゃむにゃむにゃ、ゴーン・・・
何を言っているかさっぱりわからない。
たまに南無阿弥陀仏など、聞き取れる用語はあるものの、まったく理解不能。
久しぶりの正座がその苦痛に拍車をかけていた。
僕はキリスト教のミサなどにもまともに加わったことはないが、
聖書を読み、賛美歌を歌う・・・
ほほう、●●の福音書によると、イエスさまはこんなときにこんなことしたのね。という感じ。
正確な宗教的理解はできていないかもしれないけど、日本語であるから、それなりにわかる。
しかし今回の三回忌での読経は、まったくわからない。
へんな節回しの異国語をずっと聞かされていたのと何ら変わらない。
釈迦に説法、馬の耳に念仏なんていう次元を超えている。
これぞまさしく葬式仏教。
お経には仏の尊い教えが凝縮されたものだろう。

それを読経するということは単に形式的・儀式的なものではなく、
僕らのような一般人にその教えを広めようとする行為でなければならないし、
法要では彼岸に行った故人を忍びつつ、現世に残っている僕たちに生きる道を示すものではないだろうか。
少なくともどんなお経をあげるのか、またはあげたのかを教えてほしかったし、
できれば、そのお経をプリントして手元にほしかった。
そうするだけで、仏の教えに少しでも触れることができただろうし、送った父への思いも深まったかもしれない。
これではお寺と檀家の関係が薄くなるのは当たり前。
法要以外でつきあいたくはないし、「僕の番」になったら、そんなもの(意味不明の読経タイム)は不要だと言いたい。
しかし、僕は、みんなが集まる冠婚葬祭はきちんとやるべきだと思っている。
(それを書いたエントリーはこちら→ 「冠婚葬祭は、ちゃんとやろう!」)
今回の三回忌。
母の手料理を食べながら、叔父や叔母たちと歓談していた時間はとても貴重だった。
僕も早朝に到着し、その日の深夜に帰京するというきつい弾丸帰省だったけど、
行って、本当に良かったと思っている。
父もきっと喜んでいたはずだ。
【本日の一冊】
以前、ランシンさんからお借りした本。
硬直化し、衰退するお寺をどう立て直すかなどが、わかりやすく書かれている。
お寺でなくても、会社経営にも通じる内容でした。
カテゴリー





この記事へのコメント
多香子さん、おはようございます。
『般若心経 現代語訳』、ちらっと見ましたが、いいですね!
こんどじっくり読んでみます。
とってもとっても、ありがとうございました!
『般若心経 現代語訳』、ちらっと見ましたが、いいですね!
こんどじっくり読んでみます。
とってもとっても、ありがとうございました!
そうなんですよね。先日テレビで拝見したのですが、お遍路をまわる時、ズラズラっとお経を唱えるのではなく、一行でも雫が心に落ちるように唱え、八十八箇所を巡る間に、仏の想いを心に重ねわせて行く というような事をご住職が仰っておられました。
>少なくともどんなお経をあげるのか、またはあげたのかを教えてほしかったし、
できれば、そのお経をプリントして手元にほしかった。
そうするだけで、仏の教えに少しでも触れることができただろうし、送った父への思いも深まったかもしれない。
私も同感です。
>少なくともどんなお経をあげるのか、またはあげたのかを教えてほしかったし、
できれば、そのお経をプリントして手元にほしかった。
そうするだけで、仏の教えに少しでも触れることができただろうし、送った父への思いも深まったかもしれない。
私も同感です。
obcさん、こんにちは。
お遍路ではそんなこともあるのですね。
葬式仏教に甘んじている(といっては失礼ですけど)お寺は、つらいですね。
お遍路ではそんなこともあるのですね。
葬式仏教に甘んじている(といっては失礼ですけど)お寺は、つらいですね。
トラックバック
URL :
- 多香子 - 2014年08月05日 20:44:37
でも 般若心経のこの訳はいかがでしょうか?
『般若心経 現代語訳』が超カッコイイ!!心の奥まで突き刺さる!!!|BuzzNews(バズニュース) http://buzznews.asia/?p=73600