ワールドカップ開催に思う。
ワールドカップが始まった。開催がブラジルだけに時差の関係で寝不足の日々を強いられることになるなあ。
ある調査で、
●ソーシャルメディアでのワールドカップ言及率は日本が37%でトップ
この調査は、同社のソーシャルメディアに対応する分析ソリューションである「Adobe Social」を使って、
2013年6月から現在までのTwitterやFacebook、Google+、Instagram等の
ソーシャルメディアのデータを収集し、分析したものだ。
その結果、国別の言及率では日本が約37%と最も高く、2位以下に大差をつけての1位となった。
2位は英国の11%、
3位はブラジルの9%、
4位がドイツの8%、
5位が米国の8% と続いた。
地域別では、アジアパシフィック地域が全体の48%を占め、
同地域のワールドカップへの関心の高さがうかがえる結果となった。
オリンピックやこうした国際試合が行われる度に現れる「にわかナショナリズム」。
至る所で「ニッポン!、ニッポン!」とコールが聞こえる日々となる。
ある種の国を挙げてのお祭りとも言えなくはないけれど、なんか不思議な現象と思うばかり。
特に今時の若者の熱中ぶりには驚くばかり。
なにがそうさせるのか、オッサンは疑問だらけなのだ。
別途、
●政府は2014年版「子ども・若者白書」を決定。
白書は特集として、世界7カ国の若者の意識調査を実施。
「自分の将来に明るい希望を持っているか」と尋ねたところ、
「希望がある」「どちらかと言えば希望がある」と答えた人が日本は61.6%にとどまり7カ国中最低で、
他の6カ国(82.4~91.1%)を大幅に下回った。
とあるように、将来に希望があると答えた若者は、他国に比べとても低い。
それを夢や希望がないと決定ずけるのはよくないと思うけれど、何かしら物足りなさ、残念さを感じてしまう。
若者固有の爆発的エネルギーを感じない。
もちろん、それは我々オッサンの責任であることは否定できないけど。
希望がないから、こうしたイベントに希望を託すのか?
ただ、無責任なオッサンとしては、ニッポン、ニッポンと叫ぶ前に、もっと自分を鼓舞して欲しいと思うばかり。
自分の名前を高らかに叫び、自分を応援してほしい。
自身の勝手な解釈だけど、自分以外のものに期待したり託したりすることで、
自分の満足や納得を得ているような気がしてならない。
疑似体験? きっとそれなりの喜びや楽しみはあると思う。
けれど、
当事者と唯一、決定的に違うのは、応援すること託すことは自身に苦痛を伴わない。
悲しみや苦しみや挫折や嫉妬を伴わない。
簡単に言えば、楽なことだ。
ピッチに立つイレブンは、挫折や苦しみを越えて、その先の希望や夢にたどり着いたはず。
彼らには自分の突き進む夢や希望を持ち続け、よそ見もせず、我が人生を突き進んで来た軌跡があるはずだ。
我々はそんな彼らを応援するけど、きっと彼らはピッチで見せる姿そのものから、
我々にメッセージを送っているんだと思う。
ガンバレ!⚫︎⚫︎⚫︎!
自分の人生を自分で切り開け、諦めるな、くじけるな、その先にはこうした至極の喜びがあると。
我々はそのことを学びたい。若者にもそのことを学んでほしい。
自分の人生は自分でしか、なんともならない。
将来に希望や夢を持てる国ならば、にわかナショナリズムなんかじゃなくて、
日々の生活に中に自然と愛国心は根付いているはずだと思う。
なーんちゃって。
という上記を書いてたら、1-2でコートジボワールに敗戦とのニュース。
複雑な心境。

カテゴリー
wrote by ランシン
ある調査で、
●ソーシャルメディアでのワールドカップ言及率は日本が37%でトップ
この調査は、同社のソーシャルメディアに対応する分析ソリューションである「Adobe Social」を使って、
2013年6月から現在までのTwitterやFacebook、Google+、Instagram等の
ソーシャルメディアのデータを収集し、分析したものだ。
その結果、国別の言及率では日本が約37%と最も高く、2位以下に大差をつけての1位となった。
2位は英国の11%、
3位はブラジルの9%、
4位がドイツの8%、
5位が米国の8% と続いた。
地域別では、アジアパシフィック地域が全体の48%を占め、
同地域のワールドカップへの関心の高さがうかがえる結果となった。
オリンピックやこうした国際試合が行われる度に現れる「にわかナショナリズム」。
至る所で「ニッポン!、ニッポン!」とコールが聞こえる日々となる。
ある種の国を挙げてのお祭りとも言えなくはないけれど、なんか不思議な現象と思うばかり。
特に今時の若者の熱中ぶりには驚くばかり。
なにがそうさせるのか、オッサンは疑問だらけなのだ。
別途、
●政府は2014年版「子ども・若者白書」を決定。
白書は特集として、世界7カ国の若者の意識調査を実施。
「自分の将来に明るい希望を持っているか」と尋ねたところ、
「希望がある」「どちらかと言えば希望がある」と答えた人が日本は61.6%にとどまり7カ国中最低で、
他の6カ国(82.4~91.1%)を大幅に下回った。
とあるように、将来に希望があると答えた若者は、他国に比べとても低い。
それを夢や希望がないと決定ずけるのはよくないと思うけれど、何かしら物足りなさ、残念さを感じてしまう。
若者固有の爆発的エネルギーを感じない。
もちろん、それは我々オッサンの責任であることは否定できないけど。
希望がないから、こうしたイベントに希望を託すのか?
ただ、無責任なオッサンとしては、ニッポン、ニッポンと叫ぶ前に、もっと自分を鼓舞して欲しいと思うばかり。
自分の名前を高らかに叫び、自分を応援してほしい。
自身の勝手な解釈だけど、自分以外のものに期待したり託したりすることで、
自分の満足や納得を得ているような気がしてならない。
疑似体験? きっとそれなりの喜びや楽しみはあると思う。
けれど、
当事者と唯一、決定的に違うのは、応援すること託すことは自身に苦痛を伴わない。
悲しみや苦しみや挫折や嫉妬を伴わない。
簡単に言えば、楽なことだ。
ピッチに立つイレブンは、挫折や苦しみを越えて、その先の希望や夢にたどり着いたはず。
彼らには自分の突き進む夢や希望を持ち続け、よそ見もせず、我が人生を突き進んで来た軌跡があるはずだ。
我々はそんな彼らを応援するけど、きっと彼らはピッチで見せる姿そのものから、
我々にメッセージを送っているんだと思う。
ガンバレ!⚫︎⚫︎⚫︎!
自分の人生を自分で切り開け、諦めるな、くじけるな、その先にはこうした至極の喜びがあると。
我々はそのことを学びたい。若者にもそのことを学んでほしい。
自分の人生は自分でしか、なんともならない。
将来に希望や夢を持てる国ならば、にわかナショナリズムなんかじゃなくて、
日々の生活に中に自然と愛国心は根付いているはずだと思う。
なーんちゃって。
という上記を書いてたら、1-2でコートジボワールに敗戦とのニュース。
複雑な心境。

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