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「体罰」について・・・ゲスト寄稿

【編集人より】
玉下さんと僕のエントリーを受けて、メールをいただきました。
本人の承諾を得ましたので、ここに「ゲスト寄稿」としてアップします。


----------匿名さんより----------------------------------------------

今回のこの体罰問題、他人事のようで他人事ではなく、受け止めています。
実際に、体罰もいじめも、セクハラもパワハラも受けた身としては、
なんでそれを乗り越えてなのかやり過ごしてなのか、
いま一人前に生きているのか、改めて考えているところです。

実際にあたしが我慢すれば・・・・、こんなことに負けない・・・・
と思ったのは確かですが、
その反面、体罰をした教師については会いたいとも思わないし、尊敬の念もない、
いじめを受けていたころのことは思い出したくもないし、おかげで幼馴染も含めその頃の友達はいない。

セクハラ、パワハラをした上司、同僚には、全てを否定するわけではないし、
仕事上さすがというところはあっても、人としてやはり尊敬という言葉は浮かばない。

その頃は、今のように情報社会ではなかったのもあって、
社会がとか世界がとか知る余地もなく、自分の周りの世界のことだけでなんとかくぐりぬけた、
という感じなのかなと。
情報の世界が狭かったから、そこまでの考えに至らなかったのかなと。

もしかしたら、あの当時も同年代で自分の命を引き換えにした人もいたのかもしれない、でも報道されなかった。
知らなかった。
もし、あの時、今と同じように連日報道をされていたれら、私はどうだったのか・・・

結局は、自分の命を・・・とまではならなかったけど、
自分のその後の性格、生き方にそれらのことが大きく影響したことは間違いはないのです。


体罰をいじめをした側はどうなのかとも考えます。
実際、私に体罰をした先生をなんとか受け止めて、好きになろうと先生に話しかけたり、試みました、実際。
でも、その先生はあたしを受け入れようとはしてくれませんでした。

いじめをした同級生は、卒業して10年以上経って、同窓会で私に謝りました。謝罪の手紙をくれました。
それには卒業後10年間の後悔の念がずっとつづられていました。

同じくいじめをした同期はやはり10年以上経って私に謝りました。
された側は、もちろん傷つき辛い思いをします。
した側も、自分のしたことがどうだったのか気付いたときに、とてつもない後悔をする。


私には、体罰もいじめも、セクハラもパワハラも、
気付かない、気付けない、知識のなさというか、
まだその点においては、未熟さがなせるものなのかなといま思っています。
未熟という言葉が、全てを言い尽くせていない気はしますが。

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匿名さん、ありがとうございました。
今後とも1960+をよろしくお願いします。

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