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体罰。“叱る”と“怒る”…。

バスケ部の主将の自殺に端を発した最近の体罰問題。
そもそも体罰とはなんなんだろう?

玉下は高校と大学の部活で空手をやっていたので、先輩が後輩を殴る蹴るは当たり前だった。
でも恐らく空手部でなくても1960+世代で運動部に所属をしていれば、
多少なりとも“体罰”的な指導を受けた経験があると思う。

【体罰】肉体に直接苦痛を与える罰。

そう。体罰とは“罰”なのである。
では何に対しての“罰”なのか?

本来は指導である。つまり“教える”という行為に端を発する。
そしてそこに“叱る”という行動が生まれる。
出来ないから叱る。正しくないから叱る。
これは親子関係でも仕事関係でも同様だと思う。
この叱る手段としていきなり殴ったり蹴ったりはないだろう。
先ずは口頭で相手に叱っているという意思を伝える。

で、問題は此処からだ。
この“叱る”という行動の過程で、人間に“怒り”という感情が芽生えてくる場合がある。
「なんで出来ないんだ!」「なんでわからないんだ!」
この“怒り”という感情が体罰の元凶ではないだろうか?

誰でも多少は経験があると思うが、怒っているうちにアドレナリンが脳内に分泌されて、
怒りがエスカレートする場合がある。
怒っているうちに、どんどん怒りが増幅されるのである。
「なんで叱っているのに出来ないんだ!」
「なんで叱っているのに反省しないんだ!」

そして次第に“叱っている”行為に“怒り”が加わって、
ロジカルな指導やロジカルな叱りから逸脱し始める。

手が出る。足が出る。竹刀が唸る。
相撲部屋ではゴルフクラブが登場した事件も記憶に新しい。
度が過ぎると体罰が原因で怪我をするわけだから、その時点で指導ではなくなってしまう。

最近では連日のように体罰の実例が報道されているのに、
それでも新たな体罰が事件として明らかになる。
  (先日の新聞記事にも、教師が生徒を平手打ちしたと出ていた)
こうなると指導者の品性や知的レベルが問われても仕方がない。

でも気になるのは、一連の報道で指導者が萎縮してしまう事だ。

少なくとも我々が若い頃にも体罰とかシゴキは存在していたけど、
それを理不尽に感じたことがなかったと記憶している…。
恐らく指導者とか上級生の品性とか知的レベルの問題なんだろうなぁ。


  wrote by 玉下奴郎

あれ、でも「死んじまえ!」とか「やめちまえ!」てのも、
言葉の体罰だよなぁ。

                              【編集人よりお願い】
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この記事へのコメント

- パパ店長です - 2013年02月04日 13:38:00

非常に難しい問題ですね
私はバスケットを30年来続けていますが、中学までは殴られ蹴られはごく当然のように受けていました。
毎日ではありませんが。
だからといってその事を恨んだり憎んだりといった事はありません。
今思えば立派な体罰でしょうが・・・
その体罰を「良い」というわけでもなく・・・・・根が深く、複雑な話だと思います。

- 玉下奴郎 - 2013年02月05日 15:52:04

http://www.asahi.com/jsg/articles/TKY201302040378.html

パパ店長様
コメント、有難うございます。
偶然ですが「朝日新聞」に作家のあさのあつこさんが上記のコラムを書いていました。

最近の一連の報道が
“体罰”や“しごき”を凄く単純化している風潮が気になります。

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