「上を向いて歩こう」50周年!
三連休の中日、1月13日に赤坂BLITZで、
『海を越えて50年 バラエティ・ショウ“上を向いて歩こう”』を観てきた。
今年、2013年は、坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が全米で1位になって50周年。
このバラエティ・ショウは、その50周年を記念して行われたイベントで、
作詞をした永六輔や作曲家の故・中村八大に縁の深い松島トモ子などが出演。
1963年当時の日本のテレビ番組の様子や、
この曲が如何にしてアメリカを筆頭に世界各国で大ヒットしたかを紹介しながら、
何人かの歌手が八大・六輔コンビの曲を歌う内容だった。
「上を向いて歩こう」が生まれたのは、
NHKのバラエティ番組『夢であいましょう』(1961~1966年放送)の人気コーナー、“今月の歌”から。
1960+世代だと朧げに記憶があるかないか...。
我が家だと家にテレビが来たのが1965年だったので、
記憶にあるのがリアル・タイムのものか、後年に再放送されたものかは判然としない。
とにかく1961年に極東の日本で生まれたこの曲が、全米で1位になったのが奇跡的だった事を知った。
そもそもこの曲は先にも述べたようにNHKの『夢であいましょう』の
“今月の歌”の1曲として1961年10月に発表された。
この“今月の歌”からは他にも「今日は赤ちゃん」や「おさななじみ」など、数々のヒットが生まれている。
そしてイギリスのパイ・レコードの社長が契約の話で来日した際、
偶然にお土産に貰った数枚の日本のシングルの中にあった「上を向いて歩こう」を大変気に入って、
帰国後の1962年にジャズ・バンドのケニー・ボール楽団でリリースすることに決めたそうだ。
この辺りの経緯は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が、
アメリカのピンク・マルティーニによってカバーされて、2011年に全米で1位になった経緯とそっくり。
どちらもきっかけは“偶然知って”“気に入った”ことなのである。
で、このケニー・ボール楽団盤が先ずはアメリカで発売され、
その元曲である坂本九の「上を向いて歩こう」が、
比較的日系人が多く居住していたワシントン州パスコのラジオ局で、DJリッチ・オズボーンによって放送された。
これまた彼が“偶然”坂本九のシングルを入手していたからである。
元々は日系人リスナーに向けて曲を放送していたのに、
次第にアメリカ人からのリクエストが増え、他のラジオ局へも徐々に波及。
この状況を知ったキャピトル・レコードのスタッフが、1963年に日本語のままでアメリカでもシングルが発売。
じわじわと全米でヒットし始め、遂にはビルボードで6月15日に1位を獲得。
そのまま3週連続で1位となり、年間チャートでも堂々10位。
ちなみにビルボードで英語以外で歌われている曲が1位になったのは、
1958年の「ボラレーレ」以来2曲目だったそうである。
日本の自動車会社や家電メーカーがアメリカ進出するより前に、
こうして全くマーケティングとは無縁の経緯で、日本の文化が50年前に海を渡って大成功した。
今の経済界やエンタメ業界が様々なデータ分析を踏まえて海外進出を計画する中、
こういうエピソードはもっとポピュラーになったらイイのに...。
そんな想いをしながら、赤坂を後にした。
wrote by 玉下奴郎

PS そして昨日=14日の東京は大雪! 家に引きこもり日で良かった...。
【編集人注記】
このエントリーは14日に書かれ、いったん公開しましたが、
「安倍政権での成人式...。」を15日分としたため、16日付に変更し再アップしました。ご了承ください。
早々に拍手いただいた方々、ありがとうございました。
『海を越えて50年 バラエティ・ショウ“上を向いて歩こう”』を観てきた。
今年、2013年は、坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が全米で1位になって50周年。
このバラエティ・ショウは、その50周年を記念して行われたイベントで、
作詞をした永六輔や作曲家の故・中村八大に縁の深い松島トモ子などが出演。
1963年当時の日本のテレビ番組の様子や、
この曲が如何にしてアメリカを筆頭に世界各国で大ヒットしたかを紹介しながら、
何人かの歌手が八大・六輔コンビの曲を歌う内容だった。
「上を向いて歩こう」が生まれたのは、
NHKのバラエティ番組『夢であいましょう』(1961~1966年放送)の人気コーナー、“今月の歌”から。
1960+世代だと朧げに記憶があるかないか...。
我が家だと家にテレビが来たのが1965年だったので、
記憶にあるのがリアル・タイムのものか、後年に再放送されたものかは判然としない。
とにかく1961年に極東の日本で生まれたこの曲が、全米で1位になったのが奇跡的だった事を知った。
そもそもこの曲は先にも述べたようにNHKの『夢であいましょう』の
“今月の歌”の1曲として1961年10月に発表された。
この“今月の歌”からは他にも「今日は赤ちゃん」や「おさななじみ」など、数々のヒットが生まれている。
そしてイギリスのパイ・レコードの社長が契約の話で来日した際、
偶然にお土産に貰った数枚の日本のシングルの中にあった「上を向いて歩こう」を大変気に入って、
帰国後の1962年にジャズ・バンドのケニー・ボール楽団でリリースすることに決めたそうだ。
この辺りの経緯は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が、
アメリカのピンク・マルティーニによってカバーされて、2011年に全米で1位になった経緯とそっくり。
どちらもきっかけは“偶然知って”“気に入った”ことなのである。
で、このケニー・ボール楽団盤が先ずはアメリカで発売され、
その元曲である坂本九の「上を向いて歩こう」が、
比較的日系人が多く居住していたワシントン州パスコのラジオ局で、DJリッチ・オズボーンによって放送された。
これまた彼が“偶然”坂本九のシングルを入手していたからである。
元々は日系人リスナーに向けて曲を放送していたのに、
次第にアメリカ人からのリクエストが増え、他のラジオ局へも徐々に波及。
この状況を知ったキャピトル・レコードのスタッフが、1963年に日本語のままでアメリカでもシングルが発売。
じわじわと全米でヒットし始め、遂にはビルボードで6月15日に1位を獲得。
そのまま3週連続で1位となり、年間チャートでも堂々10位。
ちなみにビルボードで英語以外で歌われている曲が1位になったのは、
1958年の「ボラレーレ」以来2曲目だったそうである。
日本の自動車会社や家電メーカーがアメリカ進出するより前に、
こうして全くマーケティングとは無縁の経緯で、日本の文化が50年前に海を渡って大成功した。
今の経済界やエンタメ業界が様々なデータ分析を踏まえて海外進出を計画する中、
こういうエピソードはもっとポピュラーになったらイイのに...。
そんな想いをしながら、赤坂を後にした。
wrote by 玉下奴郎
PS そして昨日=14日の東京は大雪! 家に引きこもり日で良かった...。
【編集人注記】
このエントリーは14日に書かれ、いったん公開しましたが、
「安倍政権での成人式...。」を15日分としたため、16日付に変更し再アップしました。ご了承ください。
早々に拍手いただいた方々、ありがとうございました。




この記事へのコメント
トラックバック
URL :